このページを読みながら聴いてほしい一曲【Tell Me Why / A Hard Day’s Night(6曲目)】
今回は、Beatlesの一員であるジョン・レノンと、彼が執筆した『絵本ジョン・レノンセンス』について、お話していきます。
とはいえ僕はジョン・レノンと一度も話をできないまま彼は逝去されたので、彼について語る場合、彼が残した作品からその意向を自分なりに読み取って、語らなければなりません。
しかし、今回彼を語るうえでの題材とした『絵本ジョン・レノンセンス』は、ひとことで言うならば、まったくワケの分からない作品です。
なので、著者であるジョン・レノンについて語るといいつつも、語れることといえば、ワケが分からない作品を書いた男ということだけです。彼について、意味が分からないことだけが分かる、ともいえるでしょう。
さて、だからこそ魅力的に映る、そんな愛嬌にあふれる男について、彼の著書『絵本ジョン・レノンセンス』からひも解いて皆さんにお話していこうと思います。
本書の概要
タイトル | 絵本ジョン・レノンセンス |
著者 | ジョン・レノン(訳者:片岡義男、加藤直) |
ページ数 | 125ページ |
初版第1刷発行 | 2011年8月10日 |
発行所 | 株式会社 筑摩書房 |
本書オススメ度
Beatlesの一員であるジョン・レノン著”In His Own Write”の翻訳版。
ジョンのナンセンスなセンスで構成された、究極の暇つぶし的一冊。
『絵本ジョン・レノンセンス』について
まずは、『絵本ジョン・レノンセンス』がどういった本なのかを説明しましょう。
【絵本ジョン・レノンセンス】
1964年に、Beatlesメンバーであるジョン・レノンが書いた”In His Own Write”の翻訳版。
絵本といいつつも、短編小説集的な立ち位置で、毒のきいた笑いや、言葉遊びが巧みにちりばめられた空想的なストーリーで構成されている。
当時、より「アイドル」としてのカラーが強かったBeatles、ひいてはジョン・レノンが、ポップスレコードの枠とはまた違う形で評価される要因の一つとして、この『絵本ジョン・レノンセンス(In His Own Write)』は挙げられます。
原題である”In His Own Write(彼自身の文章で)”自体、”In His Own Right(彼自身の権利で)”のもじりだとされ、あらゆる箇所に同様の言葉遊びが隠されている本書は、まさにジョン・レノンのセンスが垣間見れる一冊といえるでしょう。
追伸 私は絵も気に入ってます。
絵本ジョン・レノンセンス
序文 ポール・マッカートニーより
と言わせるほど、味のある絵も一緒に掲載されています。
ジョン・レノンのセンスをどうとらえるか
さて、冒頭でもお話した通り、『絵本ジョン・レノンセンス』は、ストーリー性のある本として理解しようとすると、まったく意味のない無価値な本になってしまいます。意味を見出すこと自体、ナンセンスです。
やはりポールも、序文でこの本について
「この本におさめられている話はどれも意味をなさなくってもいいのですから、なんとなくおかしければそれで充分なわけなのです。」
絵本ジョン・レノンセンス
序文 ポール・マッカートニーより
と言っています。
また、翻訳を担当した片岡義男氏においても、訳者解説冒頭ではっきりと
「この本におさめてあるどの話も詩も、いっさいの意味をなしていない。」
絵本ジョン・レノンセンス
訳者解説より
と綴っています。
実際に本書を覗いてみましょう。
本書内一つ目の短編タイトルは「部分的にだけデイヴ」。すでに意味が分かりません。内容も分かりそうで、全然分からないので、ぜひ手に取ってみてください。
なぜこれほどまでに意味を成していないのかというと、この本は原文のほとんどにおいて、ジョンの頭の中や舌先で誕生した造語(ここではジョン語と呼ぶことにしましょう)が使われているからなのです。
以下、訳者解説からジョン語例を見てみましょう。
(本来の言語)→(ジョンによる造語)
Island→Ivan
Author→Awful
Liverpool→Liddypol
など本書内に多数
本来の言葉を口にだしたときの、文字から音になるまでの変化を、そのまま新しい言葉として書き綴っているのです。(ぜひGoogle翻訳などで、本来の言語を聴いてみていただきたい)
その結果
①本来の言語と音の響きは似ているが、別の意味を持つ正しい言葉になってしまうパターン(上記でいえば、Ivan(鉄)やAwful(ひどい))
②本来の言語の意味を飛びぬけて、まったく意味を持たない言葉になってしまうパターン(上記でいえば、※Liddypol)の二通りのパターンが生まれ、それぞれを駆使して、ジョンは本書を完成させている、というわけです。
(※ちなみに、リヴァプール出身の人間はときに、首都ロンドンに比べて都会的ではないリヴァプールについて、自嘲の意味を込めて”Liddypool”=『Liddy(頭のおかしい、けったいな)+Liverpoolの造語』と呼ぶらしい)
つまり、簡単に言ってしまえば、この本は完全に、ジョン・レノンの言葉遊びの本である、といえます。しかしそうであるがゆえに、文章として意味は成していないが、それでも面白味のある一冊として完成されているのです。
Norwegian Woodの謎に迫る
ジョンの言葉遊びについて、こんな逸話もあります。
1964年に絵本ジョン・レノンセンスの原書である”In His Own Write”が発売され、その翌年の1965年に、Beatlesは”Rubber Soul”というアルバムをリリースしました。
そのアルバムの中に”Norwegian Wood”という楽曲が収録されていますが、しばしばこのNorwegian Woodについて、その訳を「ノルウェイの森」とするか、「ノルウェイ製の家具」とするか、という議論がなされます。
この議論について、1994年6月17日シンコー・ミュージック発行の『ニュー ルーディーズ・クラブ』内にて、村上春樹氏が非常に興味深い寄稿をされていました。
まず、”Norwegian Wood”作者であるジョンは、”Norwegian Wood”という言葉について、こう語っています。
いったいどうやってノルウェイの森っていう言葉を思いついたのかわからない
1981年1月号プレイボーイ誌インタビュー
というのも、当楽曲に関して、ジョンはすごく用心深く、そして妄想的になっていたからだというのです。当時ジョンは、シンシア・レノンと婚姻関係にありつつも、多くの女性と関係を持っていました。そして、ほかの女性との関係を妻に知られたくないがために、楽曲の中でそういった色事を表現する際、うまくぼかして描いていたといいます。歌詞に落とし込む際、まさに架空の出来事かのように表現しており、”Norwegian Wood”についても同様に、誰との情事のことだったか覚えていない、と答えています。
このインタビューで語った彼の真偽は定かではないにしろ、”Norwegian Wood”の解釈としては、ジョンの発言に従うとするならば、非常に曖昧で、もやがかかっており、まさにぼかされたものになっています。その解釈・翻訳としては、「ノルウェイの森」、あるいは「ノルウェイ製の家具」などという断定されたものではなく、”Norwegian Wood”でしかあり得ない、といえるでしょう。
さらに村上春樹氏は”Norwegian Wood”のタイトルについて、もう一つ『不思議な説』を語っています。
それは、村上春樹氏が、Beatlesメンバーの一人であるジョージ・ハリスンのマネジメント会社に勤めるある女性から「本人から聞いた話(この本人がジョンを指すのかジョージを指すのか定かではありませんが)」として、パーティーで教えてもらった話だそうです。以下、読み物としても非常に面白かったので、あえてそのままひと段落引用しています。
「Norwegian woodというのは本当のタイトルじゃなかったの。最初のタイトルは“Knowing She Would”というものだったの。歌詞の前後を考えたら、その意味はわかるわよね?(つまり、彼女がやらせてくれるってわかってるのは素敵だよな、ということだ)でもね、レコード会社はそんなアンモラルな文句は録音できないってクレームつけたわけ。ほら、当時はまだそういう規制が厳しかったから。そこでジョン・レノンは即席で、Knowing She Wouldを語呂合わせでNorwegian woodに変えちゃったわけ。そうしたら、何がなんだかわかんないじゃない。タイトル自体、一種の冗談みたいなものだったわけ。」
1994年6月17日シンコー・ミュージック発行『ニュー ルーディーズ・クラブ』
村上春樹寄稿『木を見て森を見ず「ノルウェイの森」の謎』より
”Norwegian Wood”というジョン・レノンの言葉遊びによって、一瞬でその楽曲にもやがかかり、ぼかされ、非常に曖昧で、そして、こちら側の想像を掻き立てるに十分すぎるものに昇華されたのです。危うくて、そして遊び心のある魅力的なジョンのセンスが、このシーンでもうかがえます。
『絵本ジョン・レノンセンス』は一枚のアルバム
そもそもTHE BEATLESというバンド名自体、BEETLE(カブトムシ)と間違えられそうな、ちょっと滑稽で、それでいて、なぜか愛着のわくものといえます。どんな気持ちでBeatlesと名付けたかは分かりません(一部ではBeatとかけているなんて説もありますが、僕はなんとなくそうではなくて、意味などないんじゃないかという気がしています)が、ともかくウィットに富んだ集団であることはいえるでしょう。
話を今回の題材に戻しますが、『絵本ジョン・レノンセンス』について僕は、一枚の音楽アルバムだと思うようにしています。言葉の窮屈さにとらわれることなくリズム性を愛し、たとえ意味を失くしても「なんとなく良い」と芸術性を感じることができる。これはまさに、言葉の意味がわからずとも、それ自体の良さが分かる優良な一枚の音楽アルバムにほかなりません。
最後に、ジョン・レノンの愛すべき幼稚な発想(あえて幼稚と表現しますが)も面白いですが、訳者である片岡義男氏と加藤直氏には脱帽です。
ジョン語を、変形される前の言葉を推測して訳したり、あるいは変形後、たまたま意味を成しているところはそのまま訳したり、はたまた、意味を成さないところはあえて意味を成さないままにしてみたりと、なんともジョンのセンスをそのままさらに日本語に変形してくれています。
訳者である片岡氏がいうには、この本は、ジョンがBeatlesの公演の折々で、食堂のナプキンやホテルにあった便せんなどに思いつくまま書き留めたものを集めてできたようです。
その姿を想うだけで、なんと純粋に楽しかったことか。固まってしまいがちな『言葉』本来の自由性やリズムを、ジョン、そして訳者は非常にばかばかしく乗り越えています。